nimem’s blog

雑念の墓場

レビュースタァライトを観たこと

だいぶ前にオープニングのブシロードの文字と1話の十分くらいを見て、ああソシャゲ系のこのテイストねとわかった気になって見るのやめてたけど、あまりにも退屈で憂鬱だったので暇つぶしくらいにはなるだろうかと思ってみたらこれが見事におもしろくすばらしいアニメだったので、おかげで憂鬱がどこかに消えた気がする。感想を書いておく。

所感は幾原監督テイストだなってのが第一印象。繰り返しの変身アニメーションが快感になる。戦いが終わったときに降りる幕のしわのエロさがよき。わたし再生産シーンの化粧?シーンが病みつきになる。とつぜんメールがくるあたりユリ熊嵐ぽさがある。1話で主人公が外側から乱入してくるあたりには、スタードライバーぽさもあった。どっちにしろ日常パートのなかにメタファー要素をいれこむ話の組み立て方。日常のなかで醸成される暴力的な要素、つまり人間関係のこじれだとか悩みだとかを日常の範囲内でやりくりするのではなくて、それらをぶっとんだメタファーの世界のお話に変換して解決する。

アニメタイトルのフォントがすごくよき。昭和か大正あたりのレトロさを感じさせる。どうしてこのセンスあふれるフォントを見てちゃんと視聴しなかったのか、過去の自分を攻めたくもなる。あと「スタァ」って日本語すごくいいね。レトロだけどあたらしさを感じる。

2話あたりで「父兄」って言葉がでてきた。いまでは死語とかしたけど、ぼくが学生のころに所属してたスポーツチームではよく使われてた。表現が不適切ではないか、男女平等に反するみたいなしょうもないケチをつける人はさすがにいなしぼくも当然そんなくだらないこと言わないけど、ここを「保護者」みたいな表現にしていたらやっぱし合わないよなと思いつつ見てた。このアニメぜんたいてきに言葉がきれい。とくにきれいだと思ったのは8話のきらめきを失ったあとの回想シーンのセリフ。

「減っていた130グラム。いつものハンドクリームひと瓶。マクベスの文庫本。2ポンド硬貨11枚。腎臓ひとつぶんの重さ。なにがなくなったの、わたしから。どうしちゃったんだろ、わたし。なにもかんじない、すごくせかされていた、すごくまえのめりだった気がするのに、いまはなにも、なにもおもいだせない。」

すごいきれい。これを三森すずこさんが演じるんだからなおさらきれい。これ書いたひとかなり熟考したんじゃないかな。言葉の語感がきもちいい。さすが演劇とでもいうべきなのか。てか三森さんの演技ってぼくすごい好きなんだよね、個人的な好みだけど。魅力を感じて最近三森さんが出てたアニメをディグって観てた。てーきゅうにも出てたのね笑。あのテイストの声すごく好きだな。あと魔女の旅の声も。関係ないけど、てーきゅうを深夜にすごい憂鬱で眠れないときに見てたんだけど、すさまじい抗憂鬱作用なんだよね。とくに2期のオープニング。三森さんじゃないけど、アニメーションから音楽からなにからなにまで、このガラクタ感というのかな、子供の頃に玩具箱のなかをがちゃがちゃいじる楽しさを彷彿とさせる抗憂鬱作用。リンク貼るけど、年齢制限かけられてるのか笑。さもありなん、てか笑。

youtu.be

声優、というよりも舞台女優・俳優って感じの演技や歌だった。セリフの文体っていうのかな、いかにもアニメって感じの萌えぽい声のテイストではなくて、もちろんそこも含んでいるけど、そこにプラスアルファ重み?演劇ぽい独特の強度が感じられるセリフの声だし歌だった。正直にいえば、一話あたりでは「あれ?なんか声優微妙じゃない?」って思いながら見てて、エンドクレジットで三森さん以外のメインキャストのひと知らない人だったからそういうことかとか思ってたけど、以後みていくにつれてあれ?歌、驚異的にうまくないか?とかセリフに重みがあるなとか思って、ひょっとすると演劇関係のひと起用してるのかと思って調べたらやっぱりそうだった。キャストは全員演劇にかかわったことのある人だった。

津田さんが驚異的にうまいのはもう何もいう必要のないことだとして笑、メインの舞台少女?の9人の歌がすさまじくうまい。重みと迫力がある。とくに天堂真矢のシーンの歌がもう驚異的にうまいし噛み合ってる。若干アニメーションっていう表現を超えてる感も感じた。これは演劇の強みなのかな。迫力がすごい。アニソンぽい柔らかい感じもすきだけど、この演劇の迫力を感じられるアニメは唯一無二なんじゃないのかな。

 

肝心の物語についてだけど、メタファーに変換された要素をふたたびリアルな「意味」に再構築する作業ってぼくは好きじゃないからあまり考えないし考えられない。幾原派の源流たる村上春樹よろしく「メタファーはメタファーのままぐいと飲み込んでしまう」のがいいんじゃないのかなと思う。てなわけで、たとえば登場人物のセリフがどういう意味なのかなんて問題はとくに考えないし興味もわかなくて、ただそのままいいなあと思いつつ楽しめばいいと思ってる。

けどひとつ気になったのは、バナナだけ二刀流ってせこくないか?ってこと笑。小さな果物ナイフみたいな武器でこっちは戦ってるのに、相手が長い刀と脇差の二刀流ってそりゃないだろみたいなことを、まあ半分冗談だけど思った。どうしてバナナだけ二刀流を使えるのか?ってことをいろいろ考えながら2週目見てみたけど、結局よくわからなかった。とくに理由はないのかな。強いていえば時計の長い針、短い針がモチーフになって長い刀を利き手の右に、短い脇差を左手で持ってるのかなと思ってみたりしたけど、べつにこのアニメ戦闘シーンで伏線をどうこうするような、つまり各人物の戦闘上の強さの相対性や比較で物語をすすめてるわけじゃないからたいした問題じゃないのかなと結論づけた。バトル漫画ならそうした戦闘上の強さのバランスが大事になってくるだろうけど、このアニメはべつにあいつがこいつより強い、いやもっと強い奴がいるぞみたいな相対性の連鎖でお話を盛り上げてインフレさせていくものじゃないからね。

 

総括としてはすごくおもしろい力のあるアニメだった。まちがいなく傑作のなかに入る。ただ幾原監督とはちがって、暴力とか死とかの重たいテーマを取り上げることはしてなくて、ただ純粋に夢っていうテーマを膨らませたものだった。そこはかなりちがう。だから魂が揺さぶられる、みたいな強烈な感動はない。でもはっきりいってそういう重たい物語よりも、実際のところはこういう軽いテーマで汚いテーマを扱わずに、ただ夢や希望を与えてくれる完成度の高い作品のほうが、生きていく手助けになると思う。重たい物語って、生きていく夢や希望というよりは、死ぬ準備みたいな側面の方が強いと思うし。